第27回横浜開港祭 横浜開港祭会場:みなとみらい21・山下地区・新港地区・臨港パーク・その他周辺
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初めに……文献や研究により、考え方が異なる場合もあります。
※横浜・ハマことば辞典や横浜開港資料館資料(各書籍)、ホームページを元に作成されています
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中華丼(中華飯)
立派な名前が付けられている、今や定番メニューも日本が発祥の地です!
元々は、横浜中華街の調理人達が作った賄い食(自分達が仕事の合間に食べる為の料理)でした。ご飯の上に八宝菜が乗せてあるところから、忙しさが伺えるかもしれません…。
西洋瓦
『ジェラール瓦工場と水屋敷跡』碑
場所:元町公園 プール前
明治6年(1873年)、フランス人A.ジェラール(Alfred Gerard)が山手居留地77番地に瓦工場を建て、洋館用の西洋瓦とレンガを製造しました。
この記念碑の建つ元町公園は日本西洋瓦の発祥の地で、西洋瓦とレンガの製造所があったそうです。この瓦は最近でも時々発掘されています。
また、元町公園は、良質な湧水が当時よりあったそうです。元町公園近くの「ジェラールの水屋敷」は、湧水の地下貯水槽等があった場所で、その湧水の貯水施設から船舶用にと水を販売する給水業も営んでいました。
公園
『我が国最古の公園』石碑
場所:横浜公園(横浜スタジアム ライト側の外側に広がる公園)
明治9年(1876年)に正式に開園された日本人と居留外国人との共有の公園で、初めてのテニスコートがこの敷地内に設けられ、後に設けられたのが山手公園でした。
洋式公園
『我が国初の洋式公園』石碑
場所:山手公園 テニスクラブハウス前
明治3年(1870年)6月4日、居留外国人専用公園として造園され、日本最初の洋式公園として開園しました。公園の造成は居留民が行なったと言われています。
横浜居住の外国人の間には、山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応3年(1866年)、外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書(慶応約書)」によって、その要求が幕府により認められたものの、この中の公園計画は具体化しないで終わりました。明治2年(1869年)に居留民から改めて要求が出されたことにより、この洋式公園は実現しました。
ヒマラヤ杉が初めて植えられた場所
『横浜の名木、古木のヒマラヤスギ』
場所:山手公園入口
明治12年(1879年)頃、ジャパン・ヘラルド社(日本で最初の外国新聞社)のイギリス人ヘンリー・ブルックがインドのカルカッタから輸入し、山手公園に移植したのが始まりだと言われています。
その後、元町公園や外国人墓地等に移植され、全国へ広まっていきました。倒れてしまったり、切られてしまったりして、現在直径1mを越す大木は数十本しか残っていないといいます。
また、外国人墓地に眠るヘンリー・ブルックのお墓は、1本のヒマラヤスギに守られています♪
迷路
明治9年(1876年)、横浜老松学校隣地に花屋敷を開園しました。その付属として造られたのが日本で最初のものだったそうで、翌年になると各所に造られたと言われています。
海水浴
『海水浴発祥 宮の前海岸跡』碑
場所:富岡八幡公園 中央付近鳥居手前(金沢区富岡東4丁目)
横浜・富岡の付近は、かつて白砂青松の素晴らしい海水浴場でした。江戸末期、横浜が開港され外国人が住むようになると、海水浴に適した場所を求めてこの付近に外国人が逗留するようになりました。ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士もこの地を訪れ、この地が東京湾で1番海水浴に適していると推奨したので、一躍脚光を浴びることになりました。
その後、政治家等中央の大物たちが別荘を富岡海岸に構えたといわれています。井上馨・伊藤博文・三条実美・松方正義等、数多く、当時は‘夏は富岡で閣議が開ける’とまで言われていました。
公園の周囲は、住宅団地と工場群が広がっていて、海岸が近くにあったとは信じられない場所です。記録によると、公園の西側はすぐ海になっていて漁港と海岸が広がっていましたが、昭和40年代から50年代にかけての高度経済成長期に広大な面積の埋め立てが行なわれた為、様相は一変してしまったそうです…。
競馬・近代競馬場
『根岸競馬場跡』記念パネル
場所:JR山手駅そばの公園
慶応2年(1866年)、日本で初めての近代競馬場として完成しました。明治6年には、明治天皇の行幸もあったが、戦時下の昭和17年(1942年)の閉鎖になるまで、定期的に競馬が開催されました。
横浜競馬場とも言われました。
庭球(テニス)
『日本庭球発祥の地』碑
場所:山手公園入口 庭球場前
明治9年(1876年)、ここ山手公園で我が国最初のローンテニスが行なわれ、居留区の婦人達によって、「レイディーズ・ローン・テニス・クラブ」が組織されました。明治11年(1878年)には我が国最初のテニスクラブが誕生し、山手公園には、5面の本格的なテニスコートが設けられました。
日本のテニスの歴史は、本場と同じ流れをとったと言われています。慶応元年(1865年)、イギリス人のブラウント大尉を代表者とするラケット・コート・クラブが設立されました。ラケットテニスとは、2人のプレーヤーが壁に向き合ってボールを打ち合うゲームで、テニスの前身とも言われています。
近代テニスに近いルールもイギリス人によって作られましたが、コートの広さや、ネットの高さは、当時自由だった!!と言われています。
野球
明治4年(1871年)9月30日、我が国初めての野球の試合が行なわれました。
明治9年(1876年)には、野球チームの編成がなされ、「横浜ベースボール・クラブ」が誕生しました。
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