第27回横浜開港祭 横浜開港祭会場:みなとみらい21・山下地区・新港地区・臨港パーク・その他周辺
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初めに……文献や研究により、考え方が異なる場合もあります。
※横浜・ハマことば辞典や横浜開港資料館資料(各書籍)、ホームページを元に作成されています
* 関内・馬車道・日本大通りエリア*
* 桜木町・野毛エリア*
* 元町・山手・本牧エリア*
* その他の横浜市内*
和英辞典・ヘボン式ローマ字
『ヘボン博士邸跡』石碑
場所:横浜地方合同庁舎前 (フランス橋たもと)
アメリカ人宣教師 ヘボン(Hepburnian)博士は、開港後に来日し、キリスト教はもちろん医学等も伝えた方で、「平文先生」として日本人にも親しまれたと言われています。日本初の和英辞典を作成し、その表記が「ヘボン式ローマ字」の元になりました。
西洋歯科医学
『我国西洋歯科医学発祥の地』碑
場所:レイトンハウス ヨコハマ前
万延元年(1860年)、歯科医師として最初に来日したアメリカ人ウィリアム・クラーク・イーストレーキ博士が、来日3度目の明治14年(1881年)、歯科診療所をこの碑のあるゆかりの地に開設しました。
イーストレーキ博士は、献身的な診療活動のかたわらで日本人歯科医師の育成に努力を傾注し、日本近代歯科医学の世界的発展の端緒を開く役割を担われていたそうです。
西洋歯科医学勉学
『西洋歯科医学勉学の地』碑
場所:山下公園前の通りから2本入った通り角(ホテル モントレ横浜 裏手付近)
エリオット博士は、居留地57番地(現在、碑のある山下町57番地)に歯科診療所を明治3年から同7年まで開設し、外国人の歯科診療に従事するかたわら、木戸孝允や新島襄等を治療し、門下生を育てました。
エリオット博士帰国にあたり、同診療所を引き継いだパーキンス博士は明治14年秋の帰国までに診療のかたわらに、門下生達に西洋歯科医学の指導をされたといいます。
これらの両博士の門人が多数の邦人達に西洋歯科医学を伝承したことによって、今日の近代歯科医学の基礎が作られたといわれています。
日本人で西洋歯科医師第1号は、小幡英之助です。彼も勿論、歯科医エリオットのところで学びました。
西洋目薬
慶応2年(1866年)、日本で最初の西洋目薬『精き(金へんに奇と書きます。)水』が販売されました。
吟詠大会
『全国吟詠大会発祥の地』碑
場所:八聖殿郷土資料館 八聖殿入口脇
昭和8年11月13日、八聖殿は安達謙蔵先生によって、創殿され、その翌年に全国吟詠大会がはじめて開催されました。
「吟詠」とは、「詩吟」、「吟道」とも呼ばれ、漢詩や和歌等を独特の節回しで歌う(吟ずる)ことで、日本の伝統芸能の1つです。
ガス会社とガス灯
『日本瓦斯(ガス)事業発祥の地』
場所:本町小学校 校門前(花咲町3丁目:桜木町駅より野毛ちかみちを野毛方面に進み、音楽通りを入る)
明治3年(1870年)、高島嘉右衛門が日本初の瓦斯(ガス)会社を設立し、横浜のガス灯設立に貢献しました。
この頃のガス事業は、ガス灯建設を中心としていたこともあり、日本社中と呼ばれる市中の有力者にて結成された8名のうち、7名は資金の関係で手を引き、高島嘉右衛門1人の手で進められることになりました。ガスの供給拡充に努め、昭和19年10月に東京瓦斯(ガス)株式会社となりました。
高島嘉右衛門は、元々の材木商で財をなした横浜の豪商で、横浜―桜木町間に鉄道を通す為の埋め立て工事に従事したり、学校を作ったりと大変活動的な実業家だったと言われています。
また、易学を学び、今の占い業界でも大変有名な『高島易断』を創始した!というユニークな面を持ち合わせています。占いを参考にする方々にとって、これ程身近に感じる事はないですね♪
『日本最初のガス灯のレリーフ』
場所:関内ホール前(馬車道中央付近)
明治5年(1872年)9月29日、高島嘉右衛門の日本社中により、神奈川県庁付近及び、大江橋より馬車道・本町通りに至る間に、ガス灯が10数基設置され点火されました。
現在、関内ホール前のガス灯は、昭和61年、関内ホール(横浜市民会館)新築完成を記念して、当時の型をモデルにして復元、設置されました。
横浜のガス灯建設をめぐっては、居留外国人と日本人の間で先陣争いが激しく、その理由としては、外国人の手に委ねられると、永久に利益を外国に独占されてしまうという考えからでした。外国側からはアメリカ、イギリス、ドイツの三者から、申請は出されたもののドイツ以外が却下され、日本とドイツの一騎打ちとなりました。しかし、需要範囲の狭い居留地内に2社並立は経営が成り立たないことから、ドイツ商社が放棄をし、これにより、ガス灯建設は事実上日本社中に入ったのでした。この為、居留地にガス灯が点ったのは、馬車道より2年後だったそうです。
日本社中にとってガス灯建設は、はじめてのガス事業でもありました。ガス灯建設設計には、フランス人のプレグラン技師を招き、柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本職人により製造されたと言われています。プレグラン技師は、わが国ガス灯の父とも考えられています。
また、ガス灯は山手にあった西洋劇場山手ゲーテ座で舞台照明として使われていたという話もあり、まさに“文明開化の灯り”として活躍していたようです!
乗合馬車
『牛馬飲水槽(レリーフ)』
場所:馬車道十番館 入口脇(常磐町5−67:ロイネットホテル横浜関内裏手)
慶応3年(1867年)、吉田橋から本町通りにかけて、馬車専用の道路(馬車道)が造られ、明治2年(1869年)、元町から吉田橋間を往来して走ったのが、日本初の乗合馬車と言われています。
1頭立て、あるいは2頭立てで、8〜12人乗りでした。当時の外国人の多くは、自家用の馬車を持っており、石畳の道を颯爽と走った為、日本人には蹄(ひづめ)音とラッパの音が印象的だった様です。当時のラッパの音を“テトテトテー”と表現している資料もあります。
『乗合馬車(レプリカ)』の展示
場所:横浜アイランドタワー(現在:BankART 1929 Yokohama中区本町6−50−1)
旧第一銀行横浜支店、前横浜銀行本店の完全なレプリカではありませんが、横浜の近代建築保存が上手くなされ、芸術文化活動の場としてすることから命名され、この地区のランドマーク的な存在です。
また、吉田橋には、居留地の入口として関所を設けられ、外国人の保護と取締りを行なったと言われ、現在、『史跡 吉田橋関門跡』の碑が建てられています。
人力車の営業
明治3年(1870年)、神奈川―川崎間にて営業されたのがはじめてといわれています。
人力車の発明は明治2年、東京の和泉要助らによるものとされています。しかし、横浜では、宣教師ゴーブルが発明したと信じられてもいるとのこと…。ゴーブルは、その設計図を下岡蓮杖(写真発祥の部分参照)に渡し、作るように進めたが、その設計図を紛失し、和泉らの手に渡ってしまったとする説です。
開港以来の主たる乗り物で、かつては数千台もの人力車が横浜を行き来していたと言われていますが、発明の糸口は馬車や荷車をヒントにしたようです。
鉄道(陸蒸気)
『鉄道発祥の地記念碑』
場所:JR桜木町駅を関内よりに少し進んだ高架下広場
「開業当時活動したIB型タンク第1号機関車の模型(15分の1)」
場所:JR桜木町駅 改札口そば
明治5年(1872年)5月7日、横浜―品川間にはじめての鉄道が開通し、仮営業で陸蒸気が1日2往復しました。
この鉄道事業には、多くの外国人技師が関わり、初期には運転手も外国人だったそうです。同年9月12日には、新橋―横浜間の全線開通で本開業となり、1日に9往復しました。籠で行くと10時間、馬車で4時間かかっていましたが、蒸気汽車では、6駅53分で走ったといいます。また、横浜駅は、初代が東京湾の一隅、野毛浦海岸の埋立地である現在の桜木町駅、2代目は、大正4年(1915年)東海道線の延長による路線変更等で、高島町に移り、3代目が現在の横浜駅に関東大震災の焼失後に場所を変えました。
お米1升が5銭だった当時、乗車賃は上等で片道1円50銭、中等1円、下等50銭とされていたことから、鉄道は大変贅沢な乗り物でした。横浜―新橋間の乗車を“旅行”と言ったのも分かりますね♪
自転車
横浜より広まったという説があり、以前は桜木町駅付近に自転車博物館があったようですが、歴史的背景は不明です…。
大阪堺市には、自転車博物館があり、自転車の歴史や発展に関係した事柄が公開されています。
また、明治10年(1877年)、元町にて石川孫右衛門という人が貸自転車屋を開業したという記録も残っています。
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